2012年10月09日

日本で多発する不穏な出来事

日本で多発する不穏な出来事
西宮伸一駐中国大使が東京都渋谷区の自宅近くで倒れて意識不明となり、救急搬送。政府関係者。
http://www.47news.jp/news/flashnews/

丹羽大使の後任に西宮氏…駐米・韓国大使も決定
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120911-OYT1T00573.htm

西宮伸一駐中国大使は中国のスパイと噂されていた丹羽大使を退任させての就任であった。
11日に就任してわずか2日で突然道端で倒れ意識不明の状態。

そもそも丹羽大使は、民主党が「脱官僚依存」を掲げて意図的に民間から引っ張り出した人物。
こともあろうに中国という危険な国の大使には商社マン出身の外交官を抜擢したのである。このポストはどう考えても外務省のプロが適任だろう。


◆丹羽大使の言動
丹羽大使はこのインタビューに先立つ5月上旬にも、中国の習近平国家副主席に向かって、東京都による尖閣の土地購入に日本国民の大多数が賛成することを批判し、「日本の国民感情はおかしい。日本は変わった国なのだ」と述べたという。習副主席に横路孝弘衆議院議長が会った際に、同席した丹羽大使がそう発言したことが明らかにされたのだ。これまた日本の大使が日本国民の自国領土への思いを非難するのだから、どこの国の代表なのかと問いたくなる。
事実、日本政府は丹羽大使のフィナンシャル・タイムズへの発言を日本政府の見解ではないとして否定した。藤村修官房長官が記者会見で「丹羽大使の発言は日本の政府の立場を表明したものではまったくない」と断言したのだ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35432

日本という国を売る人物を退任させて適任者を就任させるとなぜか突然の意識不明になる日本。
民主党政権の日本破壊行為は、報道など目に見えている部分は氷山の一角であり、本当は想像をぜったするほどに進んでいる可能性が高い。

また、西宮伸一駐中国大使は外務審議官(経済担当)の前には北米局長を担当していた人物である。

◆西宮伸一駐中国大使
1952年生まれ、東京大学法学部を卒業し、外務省に入省した後、北米局北米第二課長、在ロシア日本国大使館参事官、大臣官房参事官を歴任してきました。2005年8月から在中国大使館の公使に1年半の任期で就任し、その後2007年から北米局長、2010年2月からニューヨーク総領事を務め、同年12月に外務審議官(経済)に就任しました。(玉華、中原)


◆これが日本の現実 外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長の頭押さえつけ取材対応を妨害 中国公安当局
日本政府による尖閣諸島国有化を受け北京入りしていた外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長が12日、中国外務省の羅照輝アジア局長らとの会談後、市内のホテル前で報道陣に対応しようとしたところ、公安当局などに妨害された。
当局は突然、現場に警察車両で乗り付け、取材活動を許可しない旨を日本大使館関係者に通告。警備員らが杉山局長の頭を押さえつけて車に押し込み、報道陣との接触を妨げた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120912/chn12091223300011-n1.htm

尖閣についての取材に答えようとした日本外務省の杉山晋輔氏の頭を押さえ込むような暴挙をし車に押し込む行為。これに今の日中関係が凝縮されているのかもしれない。
少し前の日記にも書いたが、尖閣の購入を巡る問題は報道されていることが正しいとは思っていない。
明らかに地権者である栗原氏が悪者にされているのではないか、そして当の本人はなぜか表へ出てくることができず、実弟の方が「報道の否定」をしたり発言をしているのである。

◆松下忠洋金融・郵政民営化担当相が自殺 民主政権下で亡くなる人たち
http://cahotjapan.blog103.fc2.com/blog-entry-1942.html
posted by РМН at 19:00| Comment(0) | 某掲示板より転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人肉カレーの殺人犯って帝京のショートだって

帝京の前田監督はたしかにひどいです。選手を使い捨てにします。
秋の大会にレギュラーで出ていた選手(2年生)が翌年の夏には
ベンチに入っていないというのがざらにあります。
今年のように2年生中心のチームになるのはこのため。
平成4年秋のエース和田は気の毒だった。
国士舘に6対13で負けた責任をとらされ、精神的に追いつめられた。
これに反発した同級生が2人を除きいっさい退部という事件があった。

平成3年の選抜時のエース松岡も甲子園で二試合連続でKOされ、
夏はアルプスで太鼓係。マスコミは美談にしていたが、
実際はどうだったのか?

平成7年春の選抜一回戦帝京対伊都。0対1で帝京は破れるが
決勝点のきっかけとなったショートを精神的の追いつめ、結果退部。
主将、捕手も同調して退部した。
夏の予選のメンバー登録はされていたが一度もベンチ入りせず。
甲子園にでた選手が夏の前に退部するのは前代未聞の出来事。
結局この大会は2年生主体で全国制覇してしまったが、
ダーティーなイメージはぬぐい去れなかった。
決勝戦帝京対星綾終了後の閉会式で帝京の主将が優勝旗を受け取る時、
バックネット裏から「こんなチームに優勝させたら駄目だ!!!」という
オヤジの絶叫があった。私もそう叫びたかった。
posted by РМН at 00:00| Comment(0) | 某掲示板より転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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