小泉進次郎氏「球数制限すると名勝負は生まれない」「日本のスポーツの良さでもある」 球数制限導入論を“けん制”
自民党の小泉進次郎衆院議員(31)が4日、センバツ高校野球大会で愛媛・済美高の安楽智大投手
が772球を熱投したことを受けて浮上している球数制限導入論に、慎重な姿勢を示した。
自身も元高校球児で、インディアンスの松坂大輔(32)が横浜高時代の98年夏の大会でPL学園と
激闘を繰り広げた試合を引き合いに「球数制限するとあの勝負は生まれない」と“けん制”した。
本会議終了後、記者団から高校野球での球数制限についての見解を問われた小泉氏。
「高校野球は日本野球の象徴」と切り出すと「ファウルグラウンドにフライが飛んでも、
一塁に向かって全力疾走させるし、アウトと分かっていてもヘッドスライディングする。
アメリカからすれば非論理的かもしれないけれど、不思議とそこで起きる奇跡もある」と強調した。
小学生の時に野球を始めてから野球一筋。
関東学院六浦高時代は内野手で、3年夏の甲子園県大会では16強入り。
横浜高校と練習試合で対戦したこともある。
松坂の1歳下だが「私は松坂世代」と強調。98年夏の大会で、横浜高のエースだった松坂が
PL学園との準々決勝で延長17回、250球を投げて完投した試合に触れ
「肩や将来のことを考えれば、将来的に球数制限をする可能性もあるかもしれないが、
横浜対PLの試合を同じ世代で見ていた立場からすると、そうやってしまうとあの勝負は生まれない」と指摘。
「それが日本のスポーツの良さでもある」と述べた。
党青年局長を任されている若手のホープ。
発言は注目されており、今後、議論が国会にも及んだ場合には、影響を与える可能性もある。
さすが偏差値35の
小泉ジュニアらしい
意見だ
ぶっ壊れる危険無視して投げさせるのが日本の良さ?
責任のあるプロならともかく、教育の一環の部活で?
本気でアホだろ
玉木正之
高校生の身体にとって、そのような投球(肩と肱の酷使)が
将来的に「不幸な結果」をもたらすことは科学的に証明されている。
そして、じっさい過去に何人もの(元)高校生球児が身体を壊してきた。
もちろん、その事実に対して、「責任」をとった「関係者」が存在するとは、寡聞にして聞いたことがない。
普通、このような身体的酷使が強いられる場合は、それに対する「補償」が考えられる。
が、高校野球は「ノー・ギャランティ」である。
なぜなら、彼らは、学校で課外活動を行っているだけであり、
アマチュアであることはもとより、大会は「教育の一環」とされているからだ。
では、その結果、いったい、どんな「教育」が施されるというのだろう?
球児の肩、肘壊してまでも名勝負求めるのはおかしい
節度の範囲内で勝負するのが常識のような気がするけどなあ
柔道と同じだよ 体重別でやるのと同じ
さすが稲川会の高校野球賭博利権を守る小泉ジュニア
>高校生の身体にとって、そのような投球(肩と肱の酷使)が
将来的に「不幸な結果」をもたらすことは科学的に証明されている。
監督、しいては学校側の都合でしかない
投手を潰してでも勝ちにいかなければ
ならない都合がある
小泉青年局長は風営法違反で逮捕された従兄弟の心配でもしてなさい。
ダルビッシュ「日本の高校野球は投手を酷使させ過ぎ、球児を守る気がない」
桑田「ぼくの周りのまじめで才能のある選手ほど、指導者から指示されるままに頑張りすぎて、ケガをして、表舞台から消えていった」
昭和30年代のプロ野球もそうでした
現在では考えられない登板数、イニング数
精神論で押し通し、肩が壊れようが潰れようが
監督のエゴで通してきた。よく言われてきたこと
「優勝するなら投手の1人や2人潰す気でないと
だめだ」 今は選手会などがあり、酷使はできなくなりました。
米国流の科学的な手法が確率されて、分業制になったからです。
その代わり20勝投手がいなくなりましたけどね
やっぱり小泉は
馬鹿だったか
金田とか稲尾とか奇跡だよね
国会議員がこういうことを言うと
日本兵を無駄に死に至らしめた戦陣訓と重なってしまうんだよなぁ
>桑田「ぼくの周りのまじめで才能のある選手ほど、指導者から指示されるままに頑張りすぎて、ケガをして、表舞台から消えていった」
でも、その表舞台から消えた人の実名言えないもんな桑田って
才能があるかないかなんてその名前がないと
桑田一人の思い込みじダメ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
金田とか稲尾とか奇跡だよね
稲尾は40勝したし鉄腕と喧伝もされてきたが
可動年数は意外と短い。晩年はもう投げられませんでした。
金田の場合はちょっと違う あの弱小球団であった国鉄で
400勝は普通に考えても無理、先発が頑張ってきたのを
勝利投手権利を奪い、横からでしゃばって勝ち投手となった
ケースが相当ある。だから評判えぐない
権藤博(元中日)のプロでの投手としての成績
・1961・・・35勝19敗
・1962・・・30勝17敗
・1963・・・10勝12敗
・1964・・・06勝11敗
(1965〜1967・・・打者に転向)
・1968・・・01勝01敗
彼がマシに投げられたのは2年間だけ。
3年目からはそれまでの登板過多がたたって勝ち星が稼げなくなったんだよ。
だから彼は指導者になってからは、
監督とぶつかってでも投手を守ろうとするんだよ。
親父「痛みに耐えてよく頑張った!!」→7場所連続休場
息子「球数制限するとあの勝負は生まれない」
親子そろってバカ
「世襲制限すると名政治家は生まれない」
「日本の政治の良さでもある」
バカ息子
未来がある若者なのに老人の楽しみの為に犠牲になれってことか
これじゃ世界と戦っていけないね
松坂大輔は高校時代の投げすぎがたたって
二十代で事実上野球人生終了だけど
甲子園優勝投手のプロ通算勝利数
1位 237勝 野口二郎(阪急)
2位 201勝 平松政次(太洋)
3位 178勝 真田重蔵(阪神)
4位 172勝 桑田真澄(巨人)
5位 108勝 松坂大輔(西武)
6位 107勝 尾崎行雄(東映)
7位 103勝 池永正明(西鉄)
8位 101勝 野村弘(横浜)
9位 83勝 中山俊丈(中日)
10位 74勝 植村義信投手(毎日)
松坂に限らず若いうちに終了してしまうのは
嫁がちゃんと管理してやらないというのも原因の一つ
松坂とか桑田って元々
防御率が高い糞ピッチャーだけどな
玉木正之
スポーツとは、合理的で、科学的で、トップアスリートを生み出すには
裾野の広がりが必要となって必然的に社会を豊かにするもののはずである。
そして、多くの人々の心をスポーツによって(!)感動させるもののはずである。
けっして、高校という教育機関が明日のない闘いを繰り返したり、
高校生に身体を酷使させることによって無理矢理感動を引き出すものではないはずである。
そのような「試合」は、近代スポーツとは呼べず、
「古代ローマの格闘士(グラディエーター)たちの闘い」に近いものであり、
まさに「馬上槍試合(トーナメント)」というべきものといえるだろう。
テレビのワイドショウに出演していた某氏が、「今年の甲子園は野球の神様が素晴らしいプレゼントをしてくれた」といった。
そのとき小生は、漱石の短編『趣味の遺伝』の冒頭の文章を思い出した。《陽気の所為で神も気違になる》
今年もまた、「日本の夏のお盆の行事」が幕を閉じた。
以前は、何度も「高校野球批判」を書いたが、最近10年近くはこの「行事」は無視するほかないと考え、
書いたり話したりすることをほとんどしなかった。
が、久しぶりに書いて、やっぱりスポーツライターとしては書かなかったほうがよかったかなあ…という思いが少々胸の奥に沸いている。
旧日本軍とアメリカ軍の考え方の違いそのまんま。
日本軍→兵隊は消耗品で使い捨て。疲れていても精神力でカバー。
アメリカ軍→兵隊は生き延びること第一。激しい戦闘後、数カ月休暇または帰国。
日本スポーツ→選手は消耗品。疲れていても精神力でカバー。
アメリカスポーツ→選手の将来性第一。激しい試合後、十分休ませる
ダルビッシュ「日本の高校野球は投手を酷使させ過ぎ、球児を守る気がない」
↑
1流アスリートの言葉
小泉進次郎「球数制限すると名勝負は生まれない」「日本のスポーツの良さでもある」
↑
親のコネで成り上がったぼんぼんの言葉
仮にだ、マラソンで補給禁止して見た場合を考えてみよう。
当然、バタバタ倒れて行ってサバイバルゲームの様相になり、最後のゴールでは意識もうろうとしたランナーたちの必死の形相でのデットヒートが見られる名勝負になるだろう。
だからといって補給禁止などが許されるだろうか?
それと一緒の理屈だよ。さすが関東学院の馬鹿だな
進次郎wwwwwwwwwwww
生まれつきの老害だな
それより、相撲に体重制限かけろよ
健康に悪いのは一目瞭然
もはやスポーツじゃないよ
せいぜい120kgMAXだな
相撲は
デブが裸で芝居してるだけだから
問題ない
人間を駒としか考えない小泉親子
デブの
押しくら饅頭だろ
れっきとしたスポーツじゃないか
>米CBS「成長期の16歳に何百球も連投させる日本人はキチガイ」
儚く散る桜を見て喜ぶ
命を捨てて攻撃する神風特攻隊を素晴らしい精神と賞賛
こういう美的感覚の国なんだよな
そ、キチガイだよw
日本最高の教育環境を与えられていたのに関東学院大卒の、脅威の地あたま
うわ
こんなこと言ってるから世界で馬鹿にされんだよ
別に感動与えたくて野球やってるわけじゃない
馬鹿な監督のエゴで選手潰すのが美徳とか小泉キチガイ杉
なぜこんな場所に原発作ったんや・・・