2014年03月16日

■これならわかるか?■

■これならわかるか?■

理研が「スープからワカメを生成することに成功しました!」と大々的に発表。

他の研究機関が追試するも再現できず、理研に対して詳細な手順の公開を要求

理研が「わかめスープからワカメを生成する詳細な手順」を公表

他の研究機関「???わかめスープに含まれてたワカメを取り出しただけじゃ?」


若山教授は、小保方氏から「スープから生成した」細胞を渡され、その細胞がワカメであるか
の分析を依頼される
検査の結果、その細胞の成分がワカメのそれと一致することが判明し、教授は「調査を依頼
された細胞がワカメであること」に揺るぎない自信を持っている旨を発言

ところがその後、理研から、ワカメがスープからでは無く、わかめスープから取り出されたとの
プトロコル発表があり、「ちょっ待てよ」となり不信感を抱き論文撤回要請に至る


おぼかたちゃんの件は
謝ったら済むのか
刑事事件には
ならないのか


おぼちゃんは、
実は、AVに出るための
売名行為をしただけ
そんなに責めてやるな


【やりチン】・・・NMB48・渡辺美優紀 熱愛報道 

お相手モデルは 「アイドル何人食えるか」 で競ってる”やりチン 富くん


名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 21:32:06.73
記者会見の「あらゆる刺激を試しました」って言った後の
「毒素を使ったり・・・」とか続いて出てきた内容の幼稚さに驚いたのを思い出す

一般向けにわかりやすいものを上げたのかと思ったが
結局結論も小学生が考えたような内容で
半世紀前(もっとか)の素人向けの間違った解説を聞かされたような気分

案の定、博士号も嵩上げしすぎだし、STAPも捏造が濃厚で納得した
小保方の発想なんて人類が一世紀前には通過してるよ


140 :名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 22:36:23.55
みんなはどの時が一番衝撃だった?

1.Natureの電気泳動やキメラマウスの写真が怪しいと知った時
2.NCBIにデータ登録がされてないと知った時
3.STAP NEW DATAが追試失敗ばっかだった時
4.キレたNatureが論文をOAにした時
5.NatureにKC1とかわけのわからん単語があったと知った時
6.KC1が、実はドイツのマテメソ丸コピペ、しかも実験器具まで同じと知った時
7.市販されているウサギ抗体がマウス中に発現しているという記述を見た時
8.実は若山も小保方がいないと再現できなかったと知った時
9.博論の画像をNatureに使いまわしていると知った時
10.博論のBackground約20ページがNIHの丸コピと知った時
11.博論のReferencesまでコピペ、しかも文字化けしまくり、本文に引用番号なしと知った時
12.若山がリトラクトを呼びかけた時
13.笹井がのうのうと上原賞2000万取りに行ったと知った時
14.特定国立研究法人化が先送りになったと知った時


教授「レポートはコピペ厳禁。みんなも知ってると思うが小保方という…」
みたいな光景が来年度から頻発するだろう

272 :名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 02:03:11.93
>>250
論文コピペの代名詞になること請け合いだな

302 :名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 02:04:38.20
>>250
オボ禁止とかいうのかな

357 :名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 02:07:17.23
>>250
倫理の授業の題材に使えそう

374 :名無しゲノムのクローンさん:2014/03/12(水) 02:07:52.04
>>250
オボるなよーとか言われそう


STAP再現実験が成功したのは小保方チームだけ
 理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(30)らが作製した新万能細胞「 STAP ( スタップ ) 細胞」をめぐる問題で、論文が公表されて以降、理研に関係する論文の主要な著者は、小保方リーダーのチーム以外、STAP細胞を作製する再現実験に成功していないことがわかった。

 理研は14日午後、不自然な画像の使用など論文の問題点に関する調査委員会の中間報告を東京都内で公表し、STAP細胞の再現性についても説明を行う。

 理研によると、今年1月に英科学誌ネイチャーで論文が掲載後、小保方リーダーと、小保方リーダーが所属するグループの研究員がSTAP細胞とみられる細胞を作った。あらゆる細胞に変化する多能性を示す遺伝子が働いていることを確認した、としている。
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捏造ホットブラザーズ

藤村・森口・小保方 「どうも〜〜〜!」
藤村   「藤ちゃんでーーす!」
小保方  「小保ちゃんでーーす!」
森口   「三波春男でごーざーいーまーすー!」
藤村   「なんでやねん!!」
小保方  「自己紹介でもう捏造かよ!」
森口   「いや〜しかしあれやね!最近の話題はやっぱり小保ちゃんのあれやね!え?スナッフ細胞?」
藤村   「STAP細胞や!」
森口   「いや〜さすが小保ちゃん!!あれはええ捏造やったわ〜〜すごいわ!」
藤村   「世界が震撼したもんね!」
小保方  「まだまだ先輩方にはかないません〜」
森口   「捏造業界もあれやね。若手の台頭が激しいわ!」
藤村   「ほんまや!こんだけ活躍されたら、ベテラン勢はおまんま食い上げやで!」
小保方  「いや!あんたら元から食えてへんやろ!!」
藤村   「若手の台頭といったら。やっぱりオリンピック!真央ちゃんおしかったね〜」
小保方  「感動しました。頑張りましたよね!」
森口   「・・・・・」
      「実はな・・・ここだけの話、誰にも言ったらあかんでぇ・・・・国連に潘基文おるやろ。実はあいつが韓国の
       メディアやスッタフに指示していやがらせを真央ちゃんや、リプちゃんにしとったんや! 蹴落とすために!」

藤・小保 「え??」
森口   「でな。上手いこと蹴落とせてキム・ヨナが金メダル取れたら引退させて、国連に美の平和大使つうのを作ってキム・ヨナに
       初代大使に任命しようとしとったんや!」
藤村   「それがほんとやったら大スキャンダルですやん!」
小保方  「そんなんスポーツマンシップに違反してますやん!!
      公正でありのままで競い合うのがオリンピックじゃないですか!!
      私の感覚じゃあそういう不正考えられません!!」
藤村   「おまえが言うな!!」
森口   「そやろ〜〜まぁこの話も捏造やねんけどな!」
藤・小保方 「やっぱり捏造やったんかっ! もうええわ、やめさせてもらうわ!」
藤村・小保方・森口  「ありがとうございました〜」
posted by РМН at 19:00| Comment(0) | 某掲示板より転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当の人民解放軍は日本軍だった

 また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
 中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
 つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
 それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
 一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
 日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
 本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
 日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
 それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。


中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi05.htm
 農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
 日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
 日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
 これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
 中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
 ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことを、よく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。


ローマ法王は日本の行動を支持した


 もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
 日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
 ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。法王は、
 「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
 といった内容の声明を出しています。


この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。新聞は、
 「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
 と歓迎の意を表しています。ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
 けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。


共栄圏をつくろうとした日本


 一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
 日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
 その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
 だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
 汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。その象徴が上海です。日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
 ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
 一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
 もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。


日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
 それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。それは中国軍の約一〇倍に相当します。彼らは略奪で生計をたてていたのです。
 また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
 このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
 しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
 そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
 日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
 またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
 以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載したとき、ある日本人は「こんなことがあったなんて知りませんでした。一般に世間で言われていることと何と違うでしょう」と言いました。しかし、日本に留学しているある中国人クリスチャンが手紙をくれたのですが、こう書いていました。
 「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってください」
 中国人も、知っている人は知っているのです。
posted by РМН at 00:00| Comment(0) | 某掲示板より転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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