日本の学生は、高速バスが危険で何度も事故を繰り返しているにも関わらず、その移動手段を選ばざるを得ないといえる。
なぜこのような危険を承知でその選択をするのか、責めても意味はない。
もちろん、安全を損なってはいけないに決まっているが、一円でも安く移動したいという需要がある以上は、運営会社もその顧客の指針に応えてしまうことに問題の根深さが横たわる。
当然、そのような運営を求めた場合、そこで働く労働者は賃金が安く、厳しい労働環境になる。
その労働者の提供するサービスや安全の質を劣化させることは言うまでもないだろう。
端的にいって、安全で充実したサービスは安価では買えない。
今回のように毎回、規制をしても安全を売り渡してしまう事業者が後を絶たない問題は、複合的な視点が必要だといえる所以だ。
繰り返される高速バス事故に対して、改めて事故の多角的な検証作業と再発防止を徹底いただきたいと心から願いたい。
そういう意味においては、引き続き、経過を注視していくことが重要だ。
高齢者の労働者と過酷な労働
もうひとつの視点は、労働者であるバス運転手が比較的高齢であったことに注目したい。
2人の運転手のうち、一人は50歳代後半、もう一人は60歳代の高齢者である。
まず、前提として共有しておきたいのは、いかに夜間労働が過酷かということである。
若者であっても深夜労働は心身に堪える。介護や看護の宿直勤務後に、1日休みになる形態をとるのは、労働者の心身の回復を待つためでもある。
今回のように夜行バスは深夜勤務になる。運転手は交代制にしても、深夜に働くということは、心身に大きな負担を与えるだろう。
若い頃は徹夜しても平気だった身体が、だんだんと年を取ると徹夜が苦しくなるという経験をしたり、知人から聞いたこともあるのではないか。
そのような過酷な労働を高齢で、ましてやルーティン業務で行っている場合、十分な労働者の健康管理と休息や配慮が必要になるのは当たり前のことである。
少し気を抜けば、大事故につながることは容易に想像ができる雇用形態ではないだろうか。
そもそも、高齢者でもこのような過酷な労働に従事しなければならない人々は近年増加の一途である。
背景にあるのは、もちろん年金支給額の低さにともなう生活困窮や生活費のためである。
労働内容が過酷であれば、当然、その賃金は比較的高い。だからその労働に従事せざるを得ない高齢者もいて当然である。
年金だけでは暮らせない高齢者の問題の改善に取り組まなければならないと改めて強調しておきたい。
平成24年の高齢雇用者の「非正規の職員・従業員」は179万人となり、高齢雇用者の69.1%を占めている。
つまり、働き方はほとんどが非正規雇用であり、働いた分だけ給与が支払われる場合が多い。
働かなければ暮らしていけない高齢者ほど、過酷な労働に身をゆだねることとなる。
場合によっては、健康を害したり、病気を隠しても、暮らしのために無理して働く場合もあるだろう。
実際には報道で下記のように、高齢者の運転手は孤立しており、周囲の家族に頼ることが出来ない状態である労働者像がみえてくる。
亡くなった運転手2人について、勝原運転手の遺体は16日、自宅に送り届け、夫人に引き渡した。運転していた土屋運転手については、同社で遺族を把握できておらず、遺体を引き渡せていないという。
長野県軽井沢町の国道バイパスから大型バスが転落しスキー客ら14人が死亡した事故で、バスの運行会社「イーエスピー」(東京都羽村市)の高橋美作社長(54)らが16日、本社で会見し、土下座で謝罪した。会見では、バス出発時の点呼を行っていなかったなど、ずさんな運行管理状況が明らかになった。
高橋社長は会見で、遺族に対し「誠心誠意対応したい」と話した。15日に軽井沢の遺体安置所で亡くなった乗客1人の遺族に謝罪したという。遺族からは「絶対に許さない。謝って済むことと済まないことがある」との言葉があったという。
運転していた土屋運転手については、同社で遺族を把握できておらず、遺体を引き渡せていないという。
貧困問題が日本社会の底辺に蔓延してきたね