タカラ繊維の真砂吉弘常務は、唐さんの労働条件に関してはコメントを控えるとした上で、経営に外国人労働者は不可欠だと話す。日本人は募集しても集まらず、政府と企業には「考え方にねじれがある」と指摘。外国人を単純労働者として受け入れる制度を政府は作るべきだと主張する。実習生は賃金を得たくて日本側は人手不足を埋めたいという「利害関係だけが一致している」と話す。
外国人技能実習制度は1993年に創設された。法務省によると、2012年末から15年6月末までに約20%増え、18万人以上が利用する。厚生労働省によると、農業、漁業、建設、食品製造、繊維などの分野の72職種で受け入れ、ソーセージや段ボール箱製造など単純労働もある。制度の本来の目的は技術普及を通じて国際貢献を図ることにあるが、政府や関係者への取材で見えてきたのは、実際には外国人を安価な労働力として使う抜け道となっている事実だ。
3年から5年へ
批判の高まりを受けて政府は制度改正に乗り出している。国会に提出中の外国人技能実習適正実施法案では、実習生を不当に扱う受け入れ機関や企業を取り締まる新しい監視機関を創設することなどを盛り込んだ。実習生に対する人権侵害行為について禁止規定と罰則規定を設け、実習生への相談や情報提供も行う。受け入れ期間も3年から5年に延長する。
制度見直しで政府有識者会議の座長を務めた独協大学法学部の多賀谷一照教授(67)は、移民政策を取っていない日本で移民問題は一種の「タブー」で、共生すべきだという主張があっても「庶民の大部分はそれは認めないでしょう」と話す。期間延長だけでは制度の悪用は減らないと指摘し、「人身売買的に使っているのをこれ以上平気でこのまま続けるのはそれは無理」と、監視機能強化の必要性を強調した。
石破茂地方創生相は1月25日、ブルームバーグのインタビューで、現行制度は技能実習を志してきた人たちを劣悪な労働条件で働かせている部分も「相当ある」と述べ、移民政策を議論する前に「もっと技能実習生に対する処遇をきちんとしますという方が先」と述べた。
外国人技能実習生をサポートする指宿昭一弁護士は、期間が5年に延長されても自由に転職ができない点を問題視する。「時給300円でも、セクハラがあっても、黙って働け」という職場でも転職はできず、送り出した団体に多額の借金を抱える実習生は帰るに帰れない状況になるという。「日本の非正規労働者はひどい状況だと辞めていくが、技能実習生は動けない」と指摘。受け入れ側からすれば「やめない労働力が必要なんです」と話す。
失踪する人もいる。法務省入国管理局によると、14年の失踪者数は4847人で、15年はそれを上回る見込みだという。14年は失踪者のうち60%以上が中国人だった。
シェルター
新幹線・岐阜羽島駅の南口から徒歩数分。黒い外壁の3階建てビルに岐阜一般労働組合が実習生向けに提供するシェルターがある。1月中旬に訪れると、唐さんら中国人9人が生活していた。1階にはスーツケースがいくつも並んでいる。あたりはシャッターやカーテンの閉まった店舗が多い。駅北口の小さな塔は「HASHIMA せんいの街」とうたわれているが、地元の繊維産業は衰退を続けている
張文坤(チョウ・ブンコン)さんがここに来てから数カ月。建設廃棄物処理などを業務とする野辺工業(栃木県下都賀郡)で働いていたときに、木材を粉砕する機械が誤作動し手を負傷した。3カ月の休養から復帰後、手の別の部分が痛み出したことを訴えると、会社は仕事を辞めるよう迫ったという。実習制度は「大失敗だ」「死んだも同然で無意味だ」と話した。
張さんの元同僚3人も逃げた。そのうちの1人、林希俊 (リン・キシュン)さんは日本人同僚のいじめに苦しめられたという。その後、身元を隠して短期の仕事を複数した後に中国に戻った。中国の送り出し団体に6万元を支払って来日した林さんは、ほぼ文無しで帰国。大連近郊の町、瓦房店にいる林さんは電話取材に対し、「自分の夢はつぶされてしまった」「現実はずっと過酷だった」と話した。野辺工業はブルームバーグの取材依頼に応じなかった。
厚労省労働基準局監督課の恩田基弘監察係長は、タカラ繊維と野辺工業を調査しているかどうかの問い合わせに対し、個別の案件の情報は開示しないと述べた。
共生
労働人口が減り続ける中で、技能実習生を含む外国人労働者は羽島市の将来に不可欠だと羽島商工会議所の清水政男専務理事は言う。実習生を「労働力として見ているのは否定しませんし、否定できません」と清水氏。
松井聡羽島市長も、自治体活性化のために外国人労働者を受け入れるべきだとの考えだ。繊維産業の海外との価格競争、製造業の空洞化といった地域経済の課題を克服するにはもっと労働力が必要で、女性や高齢者の活用だけでは追いつかないと、松井氏と清水氏は口をそろえる。松井氏は、グローバル社会で頑張る外国人が一カ所に固まるのではなく、日本人と「共生するようなコミュニティーにすることが必要」と語った。