歴史の悪名をさらした「最悪の宰相」は誰あろう、安倍晋三その人だ。
菅直人が首相だった時に東日本大震災が起き、フクイチ(東電福島第一原発)で水素爆発が起きた。
その時、民主党政権。60年以上にわたって自民党とピッタリ呼吸を合わせた官僚は、菅直人に非協力的だった。
政官癒着の構造を壊されたくなかった。そのためには1日も早く民主党政権を追い落とし、自民党に復帰してほしかった。
その結果、官僚たちの組織的なサボタ−ジュに見舞われた。菅直人の手元には正確な情報が入らなかった。
異変に気付いた菅直人は母校の東工大の恩師に助けを求め、この先起り得る悪夢を初めて知った。日本が危ない!このままでは、原発で日本中が汚染され、破壊される。
菅直人は直接、福島に乗り込んだ。周囲は危険だと止めた。が菅直人は振り切って現場に向かった。そしてこう叫んだ。
「60歳以上の者はオレといっしょに死んでくれ!」ー。 そう言ってしり込みする東電幹部を同行させた。
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日本を救った菅直人に「対応がまずい」? は
http://79516147.at.webry.info/201704/article_131.html
「死んだっていい」と死を覚悟の菅直人!
http://79516147.at.webry.info/201704/article_178.html
もし、あの時、安倍政権だったらと思うとゾッとして寒気がする。「どうする?」「どうしましょうか?」と、オタオタして、ハチャメチャな状態のまま、事態は悪化しただろう。
覚えているだろうか。安倍晋三は、第一次安倍政権時の2006年の国会で、原発事故が起きる可能性を指摘されながら、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、地震・津波対策を頑なに拒否した。
その結果、「考えられない」と安倍が主張した大惨事が起きた。悲劇の責任は安倍晋三にある。利潤追求のため経費節約を主張し、対策に消極姿勢を取り続けた東電の言いなりになった安倍晋三の罪は重い。
安倍が当時の民主党政権、とりわけ菅直人を攻撃したのは水素爆発後、原発の危険性を肌で感じた菅直人が原発ゼロ、脱原発を打ち出したからである。
原発推進派の東電や安倍晋三にとっては「原発離れ」は許し難い“反逆行為”と映った。それから安倍晋三は仲間の産経や週刊誌を総動員して、「菅直人つぶし」に総力を挙げた。
そんな基本的なことも知らずして「菅氏の対応がまずかった」とよく言ったものである。