60歳を過ぎてからこっち、ツイッターなどを通じて「老害」という言葉を浴びせられる機会が増えた。
個人的に、この種の指摘には反論しないことにしている。
理由は、勝ち目がないからだ。
自分より年齢の若い人間に「老害」という言い方で総括されることは、言ってみれば、当然の帰結だ。
年上の人間に、「老害」と呼ばれたのであれば、私とて、一応の反撃は試みるかもしれない。が、相手が年下である以上、年齢の高低を争ったところで、こちらにははじめから勝算がない。
背丈であるとか年齢であるとかいった、明白なエビデンスを伴った事柄については争わないのが、言論人のたしなみというもので、ここのところで争うと、かえって、年齢の大小を競うことに意味がある旨を自ら認めてしまうことになって、まことに具合いが良くない。
年齢の話を持ってこられたケースでは、穏当に無視するか、でなければ
「おっしゃるとおりですね」
てな調子で紳士的に対応することにしている。
実際、おっしゃる通りだからだ。
「老害」というこの言葉を発する人々の内心には、私個人への非難とは別に、「老人たちが社会を壟断して、若い世代の参入を阻んでいる現状」に対する抗議の気持ちがわだかまっている場合がある。
で、これもまた、おっしゃる通りだったりする。
あらためて見回してみると、たしかに、われわれが住んでいるこの国は、様々な分野で、いまだに老人支配が続いている。
テレビの業界でも、スタジオに立っている人間の顔ぶれが30年前から変わっていない番組が珍しくない。
「だって、ひな壇にすわってる若手が軒並み40代ですからね」
という、40代の「若手」芸人が持ち出してくる定番の話題にしてからが、ネタというよりは、事実そのままの情景描写だったりする。
その若手氏によれば、自分たちがかれこれ20年も若手の地位に甘んじている理由は、一番上にいるビッグ3(タモリ、ビートたけし、明石家さんま)が健在で、その下の中堅(ダウンタウン、とんねるず、ナインティナイン、爆笑問題などなど)がこれまた盤石だからで、この人たちが席を空けてくれない限り、自分たちは、ひな壇から外に出ることができないのだそうだ。
この現状について、
「老害が地位にしがみついているから若手が出てこれない」
と見るべきなのか、逆に
「若手の実力がふがいないから老人たちが生き残っている」
ととらえるべきなのか、それぞれ、見解の分かれるところだと思う。
個人的には、お笑い世界の高齢化は、ベテランと若手のどちらか一方に責任を押し付けて良い話ではないと思っている。
思うに、高齢化は、お笑いというジャンルそのものの衰退ないしは生命力の低下を物語る変化だ。
おそらくこの先、お笑いは、演歌やロックミュージックが一歩先を歩いているのと同じ形の、「ジャンルまるごとの高齢化」を果たすことになるはずだ。具体的に言えば、演者のみならず聴衆や業界人や関係者すべてを含む人間が、同じように年をとって、そのまま消えて行く、ということだ。
ダウンタウン、とんねるず、ナインティナイン、爆笑問題など
全部がおもろないやん
ヘタな漫才師ばかり
今の「老害」芸人の多くは30数年前の漫才ブームで頂点を極めた人たち
このお方たちが笑いだけでなく芸能界を席巻して抜き差しならない土台を築いてしまった。あの凄まじいブームを生き抜いてきた連中を抜きにしてはバラエテイなど成り立たない
笑い=バラエテイ
当時はスマフォもないしネットもないまだまだ多様化までいかない少様化で世は好景気突入寸前、バブルの前張り
すべてお膳立てが整って笑いを後押し
今の「老害」お笑い連中駆逐するには以前にも増して強固なお笑いブームの到来しかないと睨んでいる
TVのメンツ確かに固定化されて新顔でても弱弱しいしすぐ消えるなと思わ猿をえないのよ
背景にはやはりネット、スマホ、動画サイト、視覚娯楽の多様化で新人漫才まで手が回らない 動画でいろんなもの見れるし世界同時共有というありがたさ
ピコ太郎なんて時代の申し子みたいなものでしよ