2015年の自動車事故死が3.8万人、ベトナム戦争を通した米軍犠牲者が5.8万人、朝鮮戦争が3.7万人。HIV/エイズでも、単年でのピークは4万人台ですから、その重みがお分かりいただけるかと思います。
中毒死の割合が高いのは、二つの地域です。一つは、ウェストバージニア、オハイオ、ケンタッキーといった、ラストベルト/アパラチア地域。そしてもう一つは、コネチカット、ニューハンプシャー、ロードアイランド、マサチューセッツといった東海岸です。前者は昨年の大統領選挙でトランプを支持した地域であり、後者は民主党の地盤です。その意味では、党派を超えた問題ということになりますね。
あまり知られていませんが、昨年の大統領選挙では、薬物対策重視を強調したことが、トランプ勝利の一因でした。薬物の蔓延は労働者の確保を妨げる要因にもなっているとも言われており、各方面で問題が表面化しつつあるようです。
3年前、米オハイオ州にあるミカヤ・フュットさんのアパートの部屋に踏み込んだ警察官は、ゴミや汚れた皿、嘔吐(おうと)物が入ったプラスチック容器が一面に散らばる光景を目にした。
当時3歳と2歳の幼い兄弟は、警察官が母親の腕に注射痕があるのを確認する様子をじっと見ていた。室内のどこにもない食べ物を探しながら――。
ミカヤさんが今年の夏、オピオイド系の薬物「カーフェンタニル」の過剰摂取で死亡した時、兄弟はすでに祖父母のもとで暮らしていた。それでも母親が薬物中毒になり、生活が荒れ果てた体験はこの先何年も影を落とすはずだ。母親と一緒だったときはたいていおなかをすかせ、汚れた格好をしていた。母親の交際相手にベルトでぶたれたこともあったという。
享年24歳のミカヤさんの葬儀で、弟のリード君は棺おけに横たわる母親にしがみついたという。「単なるハグではなかった。胸が張り裂けそうだった」と祖父のチャック・カランさん(63)は振り返る。
米国では強力なオピオイドの乱用が広がり、過剰摂取による死亡者数が過去最高に達している。それは数万人の子どもの心にも傷を残している。里親に引き取られる子どもが多くの州で急増し、ソーシャルワーカーや裁判所は悲鳴を上げている。
オピオイド中毒の親と暮らす子どもたちの多くは過酷な状況にさらされる。母親や父親が薬を過剰摂取し、トイレの床で息絶えるのを目にする。電気も食料も暖房もない生活を送ることもある。学校に行くのをやめ、必需品を手に入れるため盗んだり略奪したりすることを覚える。
ヘロインやその他のオピオイド系鎮痛剤による強烈な薬物依存症は、子どもを慈しむ親としての最も強い本能さえも奪い去ると、医師やソーシャルワーカーは口をそろえる。
最近はヘロインの何倍も効果が強いフェンタニルやカーフェンタニルといった合成オピオイドが闇市場で簡単に入手できるため、危機的状況が悪化の一途をたどっている。
オハイオ州の児童サービス機関の関連団体によると、同州では2010年以降、親元から保護され、親戚や里親の家庭で養育される子どもが19%増加。バーモント州児童家族局によると、同州でも2013年から16年にかけて40%増加。いずれも主因はオピオイドだという。
フェイスブック で中毒者の子どもを育てる祖父母を支援するグループには、全米で現在2000人が登録している。ミカヤさんの子どもを引き取った祖母ミシェル・カランさん(47)もその1人だ。
カランさん夫妻はオハイオ州コロンバス郊外に退職後住むための家を建て、そこで暮らしている。車で2時間ほど離れた町に住む娘のミカヤさんは、美容師になる学校に通いながら子どもの面倒もよく見ていたと話す。
約3年前、ミシェルさんは娘のアパートや子どもたちの身なりが乱れ始めたのに気づいた。ミカヤさんは絶えずお金の無心をするようになった。
ある日、留守中の子どもの世話を頼まれて訪問したとき、当時3歳の兄レーン君が注射器やスプーン、粉末状物質が詰まったブリキ缶を手に持って歩いているのに気づいた。後日ヘロインであることがわかった。「どこから持ってきたの?と聞くと、案内してくれた。娘の寝室の引き出しに入っていた」とミシェルさんは振り返る。
ミシェルさんは娘に子どもたちを連れて帰ると告げた。2週間くらい休んではどうかと話すと、ミカヤさんは同意した。一方、アパートの管理人は室内がひどく不潔だと警察に通報していた。
母親のアパートに戻る日、弟のリード君は部屋に近づくと「震えて泣き出した」とミシェルさんは話す。「もうここに戻らなくていいと言ったのに!」と叫んだという。
到着すると、すぐに警察もやってきた。ミカヤさんの注射痕を確認し「どうやって子どもたちの面倒を見るというんだ? どこに食料があるんだ? ここで一体何が起きているんだ?」と警察官が続けさまに尋ねたのをカランさんは思い出す。台所のキャビネットを開けると、中は空だった。嘔吐物が入ったプラスチック製の牛乳容器が散らばっていたのは、お金が尽きて薬物が買えなくなり、禁断症状に苦しんでいる兆候を示していた。
裁判所はカランさんに緊急養育権を認めた。ミカヤさんがリハビリ施設を出たり入ったりし、何度かホームレスになったため、養育期間は次第に長期化した。
カランさん夫妻と暮らすうちに、レーン君はミカヤさんの交際相手にぶたれたことを打ち明けた。兄弟はその後も長い間、祖父母のそばを片時も離れなかった。「置き去りにされるのを恐れていた」とカランさんは話す。
空腹の心配もしていた。2人は「食料保管庫を絶えずチェックし、空いた場所があるとパニックになった。彼らを落ち着かせるため、食料を常に前列に移動しなくていけなかった」とカランさんは話す。夜になると翌日の朝食と昼食の用意があるのか聞かれたという。
今年7月、リハビリの試みもむなしくミカヤさんはフロリダ州のホテルの部屋で死亡した。彼女の血液からはカーフェンタニルと微量のヘロインが検出された。
現在7歳と5歳になった兄弟は、祖父母の家でスパイダーマンとティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズの絵柄のパジャマを着て、夜食をとりながら母親の写真と遺灰の入った骨つぼを眺めていた。
レーン君は海岸で過ごす母親の写真を見せ、「お母さんは体を治すためにフロリダに行ったんだよ」と話した。
カランさん夫妻は2人の養子手続きをするが、不安も抱えている。妻ミシェルさんはクレジットカード関連会社で働き、夫チャックさんは自動車工場の管理責任者だが定年が近づいている。「大学の費用をためようにも限界がある」と話し、兄弟が10代後半に達したとき、面倒を見る余裕があるか心配している。
家庭で容易に麻薬密造、米国で広がるオピオイド危機
太平洋を見下ろす3階建て賃貸マンションに住んでいた夫婦は、気さくで意欲的な人たちだった。妻は街を散策して フェイスブック に自撮り画像を投稿していた。夫は小さな音楽レーベルを設立し、自宅で開業した。
家主だったアン・マクグレノン氏は「いい人たちだった」と振り返る。「奥さんはとても優しかった。旦那さんはやり手だった」
だが当局によると、この夫婦(カンデラリア・バスケス被告とキア・ゾルファガリ被告)には暗い野心があった。米麻薬取締局(DEA)によると、夫婦は自宅だった6号室で、処方薬に似せた麻薬を密造していたのだ。処方薬オキシコドン(オピオイド系の鎮痛剤)の錠剤に似せて夫婦が作っていたのは合成オピオイドのフェンタニルを主成分にした麻薬だった。
DEAによると、ゾルファガリ被告は自宅に錠剤製造用の圧縮機を置いていた。当局の宣誓供述書によると、夫婦はワシントン、ノースカロライナ両州を含む全米各地のバイヤーに密造した麻薬を販売。サンフランシスコの連邦大陪審はフェンタニルの製造・流通を共謀した罪で2人を6月21日に起訴した。夫婦は無罪を主張している。
米国では今、こうした小規模な麻薬密造場所が増えている。合成オピオイドを利用すれば麻薬が自宅でも容易に製造可能であるという認識が広まっているためだ。麻薬の需要が急増していることも背景にある。警察当局は、こうした現象が違法麻薬取引の零細化を助長する危険があると指摘。大規模麻薬組織の撲滅に苦労する当局にとって、やっかいな状況が新たに加わった格好だ。
処方薬やヘロイン、フェンタニルのような合成薬を含むオピオイド系薬物の乱用は危機的な状況に達している。米疾病管理予防センター(CDC)によると、2014年にはオピオイド系薬物の過剰摂取により全米で2万8000人余りが死亡した。これは10年前の数字の2倍以上だ。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が州ごとの直近の統計を収集したところ、危機的状況はさらに悪化していることが分かった。効き目がヘロインの最大50倍といわれる合成薬物フェンタニルが特にまん延している。2015年の薬物の過剰摂取による死亡件数は10州で計1万2244件となり、前年を21%上回った。だが、フェンタニル関連の薬物に限ると、同じ10州で死亡件数は前年比128%増の3883件にのぼる。メーン、ニューハンプシャー、バーモント、ロードアイランド、コネティカット、ペンシルベニア、メリーランド、ノースカロライナ、ケンタッキー、オハイオの10州だ。
DEAや地元の捜査当局によると、カリフォルニアやテネシー、ユタを含む州でフェンタニル系の錠剤密造について、十数件の捜査が進められている。
これらの密造者はいわゆる麻薬組織の「大物」ではない。バスケス被告やゾルファガリ被告などは既知の麻薬カルテルとのつながりはない。だが、必要なすべての材料を手に入れている。違法ではあるものの、ネット通販では誰でも調合剤や錠剤製造用の圧縮機を注文することができる。DEAによると、中国の製造業者から購入できるフェンタニルは1キロあたり約3500ドルで、錠剤にすれば100万粒が製造できる。末端価格は1粒で約10ドルのため、1キロのフェンタニルから1000万ドルの売り上げが得られることになる。しかも新規参入の障壁は低い。DEAによれば、粉に圧力をかけて錠剤にする圧縮機は約1000ドル。処方薬に似せた印をつけるための型打ち機は約130ドルで購入可能だ。
DEAサンフランシスコ支部の特別捜査官ケイシー・レティグ氏は「恐ろしいのは、これが氷山の一角にすぎないということだ」とし、「売人は何でもかんでも圧縮して(錠剤に)しているのかとの疑問が湧く」と話す。
こうした小規模なフェンタニル密造者の登場は違法薬物取引が別の次元に入ったことを物語っている。フェンタニルが米国の街角で取引されているストリートドラッグとして表面化したのは10年前で、ヘロインへの混合物としてだった。当時、連邦当局はメキシコのトルーカに製造元をつきとめた。DEAによると、そこは中国のサプライヤーからフェンタニルの材料を入手していた。メキシコ当局がトルーカの密造業者を2006年に閉鎖すると、問題は徐々に消えていった。
ところが2013年前後に、米当局がオピオイド系処方薬を大量に販売するペインクリニックの取り締まりに乗り出したのとほぼ時を同じくして、フェンタニルが街角で再び売られるようになった。中には中国に直接注文を出すバイヤーもいる。かつてペインクリニックが満たしていたのと同じ需要をさばくため、新たな麻薬密造業者はフェンタニルの粉末を錠剤に変えている。しかもその錠剤は合法的な処方薬と見た目がそっくりであることが多い。
バスケス被告やゾルファガリ被告(ともに40歳)は薬物密造に携わるような人物には見えない。
バスケス被告は自身のフェイスブックによると、約10年前にカリフォルニア州エメリービルの近くにあるウエスタン・キャリア・カレッジで医療分野の情報技術を学んだ。友人の一人によれば、フィリピン系のバスケス被告は数年前、高齢者を世話する仕事に就いていた。
同州フレモント出身のゾルファガリ被告は、父親によると、高校とコミュニティーカレッジ(短期大学)でフットボールの選手だった。父親は約50年前にイランから米国に移住した。
父親によれば、ゾルファガリ被告はフットボールでの古傷をきっかけにオピオイド系鎮痛剤の中毒になり、フェンタニルを服用するようになったという。
両被告は2013年に結婚。2015年初めにサンフランシスコのサンセット地区にある近代的な賃貸マンションに入居した。ゾルファガリ被告は音楽に情熱を持ち、友人でラッパーのキング・ハリス被告のアルバムに大きな期待を寄せていたという。同年9月、ゾルファガリ被告はヒップホップ音楽のレーベル「プラネット・ゼロ・リコーズ」を設立した。
DEAによると、夫婦はここに引っ越してきてからフェンタニル入りの薬物の密造を始めた。半年の間にゾルファガリ被告はハリス被告の手引きで、1500粒以上のフェンタニル系薬物をある人物に販売した。この人物は現在、DEAの捜査に協力しているため、身元は明かされていない。連邦大陪審はハリス被告も起訴したが、同被告は無罪を主張している。
家宅捜索に乗り込んだDEAの捜査員が夫婦の自宅で見たものは、ガラスケースに入れられた3つの高級腕時計(計7万ドル相当)や、床から天井まで積み上げられたバスケス被告の靴のコレクション(1足1000ドル以上の値札がついたままのも多かった)だった。ベッドルームには4万4000ドルの現金が置かれていた。