将棋でGHQを詰んだ棋士
「チェスと違い、将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」
升田は、ぐいっと「まずい」ビールを飲み干して、笑いを浮かべた。この手を読んでいたのだ。
「冗談ではない」
冗談を言ったつもりなど、みじんもないGHQ将校たちは、あっけにとられる。チェックメイトではないのか?その表情を升田は見のがさない。
「チェスこそ、捕虜の虐待、いや虐殺だ」
取った駒を使えぬチェスを、逆に否定した。いや、それどころではない。虐殺とまで言い切ったのだ。攻めには、それを上回る攻め。これぞ、升田将棋そのものだ。
「そこへいくと、日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない」
通訳もうろたえる。必然的に間合いができる。また酒に手をやる升田。
「将棋では、つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想だ」
升田の言葉は盤面を踊る駒のように、躍動する。
「しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせるのだ」
そして、最後の寄せの一手は、次の言葉だった。
「巣鴨にいる戦犯の連中を殺さんで欲しい。彼らは万事よく知っており、連中を殺すのは字引を殺すようなものである。生かして役立てる道を考えてもらいたい」
標的とされた持ち駒ルールの精神を占領政策に取り入れろとしめくくった。升田幸三がGHQを詰んだ瞬間だ。みごとな対局だった。だが、対局は一人ではできない。升田を認め、許容する力を持つ相手だったからこそ残せた棋譜なのだ。対局者は民生局長ホイットニー准将、マッカーサーにつぐGHQナンバー2、日本国憲法の草案にも関わった男だった。
こうして将棋は生き残った。標的となった多くの他の文化と違い、一度も途絶えることなく、現在に至ることができた。1991年4月5日、升田は逝く。73歳だった。