人間は「多様性」が大嫌いである。
憎んでいる、といってさしつかえない。
事実だからである。
日本だけじゃない。世界中どこでも、である。
とりわけ、教育の選抜システムである受験は、基本的に「多様性」をいかに排除するか、ということに血道を上げる。
勉強のできる順に並べて輪切りにして、囲い込む。
これを、幼稚園から大学まで延々とやって
「お勉強ができるかどうか」という切り口において
徹底的に「多様」とは逆の「ほとんどおんなじくらいの学力」のひとを束ねる。
「学校」は、そうやってできる。
さらに、この受験という仕組みはお金と相性がいい。
教育への投下コストと生徒の学校の偏差値とは相関する。
偏差値の高い学校ほど親の平均年収は高い。
親は親で「年収」で輪切りにされるため、
やはり多様とは程遠い「ママ友」「パパ友」が形成される。
就職もまた「多様性」とは逆である。
なるべく一部の学校からとろうとする。
人気企業ほど、である。
つまり、人気企業は、実質的に人材の多様性が大きらいなわけである。
で。
就職すると、入った組織はものすごく「非多様」なのだけど、
消費者向けのビジネスをやっている会社ならば、お客さんは文字通り「多様」である。
客の「多様」に対応し、応え、期待を上回らなければ、商売にならない。
ところが、多くのひとは、それぞれの偏差値で輪切りにされ
「多様性を否定する人生」を送ってきたので、客商売がうまくできない。
かくして言うのだ、「もっと多様性を!」と。
ギャグのような話である。
答えがあるわけじゃない。
おそらく綺麗な解はない気もする。
ただ、興味深いのは、「漫画」である。
しばしば現実には存在しない「多様なチーム」を描き続けるのだ。
『ドカベン』では、東大に行く北先輩と、勉強に関してはどうも境界線レベルの男岩鬼がおんなじ「明訓高校」で甲子園に行く。
『スラムダンク』は、もろに『ドカベン』の影響を受けているので、
やはり東大に行きそうな木暮先輩と、ヤンキーエリートの桜木花道が
おなじ「湘北高校」でインターハイに行く。
現実の私たちは多様性が大嫌いである。憎んでいる。
にもかかわらず、空想の世界では、多様性が大好きである。
ちなみに。
岩鬼も桜木花道も、お勉強は苦手だけど、試合になると恐ろしい
ストリートワイズを発揮して、ぐりぐりメガネでホームラン打ったり、
沢北の超絶ショットを囮になってブロックさせたりする。
明訓高校や湘北高校は、どっかにあるのだろうか。