しかし、その姿はまるで影が意志をもって動いているようでした。その影のひとりが、私に気付き、声をかけてきました。
「おい、ボク。ここはどこだ?」
「ココ、ココは雫石だよ」
「雫石ってなんだ?」
「盛岡の横だよ、知らねえの?」
そう言う会話をすると、その影は苛立ってお堂の中に入っていきました。
同じ頃、慰霊の森となる森の入口付近で、タクシーや車を必死で停めて家に帰ろうとした方もいたようです。
事故に遭われた方々は、自分が死んだことにまったく気付かなかったと思います。
そこに肝試しに行ったバカな人がいたんですって。そこで慰霊碑までいってみようっていう話になって、行くまでは何にも無かったらしいんだけど、慰霊碑を確かめて帰ろうとして何気に慰霊碑のほうを振り返ったんだって。そうしたら、慰霊碑の上に生首がズラって並んでこっちをにらんでいたんだって。怖くなって逃げ出したんだけど、いくら走っても自分の車は見えてこない。ようやく車にたどり着いてもエンジンはかからない。車に手形はついてるし、その人気絶したんだそうです。で、朝さめてみると白い車にはべったりと血のりの手形があったらしくて・・・遊びで行くモンでないです。遊びで行ったら、まじめに死にます。・・・でもどうしたらあそこに居る人たちはうかばれるんでしょうかねぇ・・・
出典
http://gost.s35.xrea.com/iwate/read.cgi?DIR=iwate&FILENAME=62
何と、階段から生えた草のような青白い手がBの足首をしっかりと掴んでいたのだ。
Aは我を忘れて、全力で階段を駆け下りた。懐中電灯も供養にと持ってきた線香も放り出して・・・・。
・・・・・・Aが車に戻り、Cと二人でどうしようか考えていたころ、慰霊の森の階段からBが降りてきた。
・・・・・・Bは泣きながら帰ってきたのだ。やはり懐中電灯も線香も放り投げて・・・。
こうして、三人は家に戻った。
「慰霊の森」へ続く階段にまた新しい懐中電灯を残して・・・・。
階段の一段目と三段目を踏むの呪われるという噂がある浅間神社、通称首狩神社です。
本坂峠を通る旅人が首を切り落とされて放置されていたそうです。
そのため首狩神社という気味の悪い名前で呼ばれるようになったといいます。
また、処刑場だったという噂もありますが真意は定かではありません。
一列になって階段を上ると最後尾の人間が首を狩られるという噂もあります。
山中にあるため近隣に住民はおらず、神主もいません。
足場も悪く危険な場所なため注意してください
旧日本軍では、出征する前に気象庁を見学することは縁起が良かったとされる
理由は「(天気予報が)当たらないから」
だがそのうち、この迷信は廃れてしまった
「(気象庁の天気予報は)たまに当たるから」