2017年02月16日

共産党一党独裁の中国を取材して「被害者」の証言を聞き、同紙夕刊に『中国の旅』

 本多氏は、日中国交正常化(1972年9月)前の71年6月から7月、共産党一党独裁の中国を取材して「被害者」の証言を聞き、同年8月から12月、同紙夕刊に『中国の旅』を掲載した。そこで記された残虐行為は、衝撃的だった。

 後に出版された単行本『中国の旅』(すずさわ書店)のあとがきで、本多氏は《本書は中国側での取材にもとづいて報告しています》(370ページ)と記している。確かに、南京事件の犠牲者数「約30万人」も、南京港務局内河船員の証言のくだりで突然登場する(292ページ)。

 そこには、(注2)とあり、324ページで《正確な数字はむろん知るよしもない》と書き、中国側の発表《四三万人》東京裁判の判決《一一万九〇〇〇人》という数字も記している。

 旧日本軍兵士の行為も、にわかには信じがたい内容だ。

 例えば、《日本軍の強制連行に反対した労働者が、その場で腹をたち割られ、心臓と肝臓を抜きとられた。日本兵はあとで煮て食ったという》(293ページ)とある。日本人の感覚からは考えられないものだ。

 長谷川氏が疑問視するのは、本多氏の取材手法だ。

 連載当時には、南京攻略戦に参加した旧日本軍将兵や、従軍取材した朝日記者も存命していたと思われる。同書を読む限り、裏付け取材などの形跡は見当たらない。

 どうして、これが許されたのか。

 長谷川氏は「当時の広岡知男社長は『親中国』というより『親中国共産党』という考えの人だった。そして、本多氏は朝日新聞のスター記者だった」といい、続けた。

 「朝日内部でも、『おかしい』と思った社員がいなかったわけではないと思う。ただ、それを表立って口にする雰囲気ではなかった。『本多勝一』という有名人、その背後には広岡社長がいた。こうした環境では、本多氏の先輩であろうと、ましてや後輩に至っては『変じゃないか』とは口に出せなかった。それが、長期連載された最大の理由だと思う」


TV朝鮮によると、正男氏は13日午前9時、マレーシア・クアラルンプール空港で2人の女によって毒針を刺されて死亡した。容疑者の女2人は犯行直後、タクシーで逃走した。

来るね
毒針殺害ブーム
日本人も注意な


毒針殺害ブーム

真田丸でも
加藤清正が
毒針で殺されたな
posted by РМН at 19:00| Comment(0) | 某掲示板より転載 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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