今回このような事件を起こしたことは、予想もできず、まさに青天のへきれきで、自殺することはあってもまさか他殺するなんて思いも及びませんでした。初めて聞いたときはまさかと耳を疑い信じられませんでした。テレビの映像を見て本当にショックで、未(いま)だに精神状態が良くありません。このような形でコメントすることを、ご容赦ください。
一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました。中学生の時、不登校になり家庭内での生活が乱れ、将来を心配して定時制高校に入れること、また自立支援施設に入れることを本人に提案したら、素直に応じてくれ、高校の3年間と職業訓練校の1年は資格も取り、車の免許も取り、無事に就職もできました。 しかし、入社後は、仕事がうまくいかず落ち込んでしまい、1年足らずでやめてしまいました。
その後はかなりの自信喪失で自殺をほのめかすようになりました。昔から岡崎のおばあちゃんに懐いており、一緒に暮らしたいと本人も希望していたので、岡崎へ行かせました。私の提案で岡崎のおばあちゃんと養子縁組をし、居場所を確保しましたが、結局居づらくなったようで、何度か家出を繰り返しました。家出中も何度か電話で話す機会があり、その時も自殺をほのめかしていました。「無理やりにでも連れ戻していたら」と、いまは悔いが残ります。すぐにでも帰って来て欲しかったですが、また同じことを繰り返すのではと思い強く言えず、なんとか自力で帰ってくるように促していました。
今回このようなことになり、どちらかといえば正義感があり優しかった一朗が極悪非道な、一生かけても償えない罪を犯したことに未だに困惑しています。受け入れ難く、やり切れない思いでいっぱいです。事実を直視するのには、まだ時間がかかると思います。このようなことを申し上げていい立場にあるのかわかりませんが、しばらくの間、そっとしていただけるとありがたいです。
小島容疑者は中学まで同県一宮市で両親や父方の祖父母、姉の6人暮らし。中学では野球部に所属したが、いじめが原因で不登校になった。進路などを巡り父親とけんかをし関係が悪化、家を出たという。
14歳から約5年、母親が働いていた自立支援施設で暮らし、この間、定時制高校に通学。成績は優秀で4年の修了期間を3年で終えた。その後名古屋市の職業訓練校に入り、電気工事や溶接など各種資格を取得。平成27年4月、埼玉県内の機械メンテナンス会社に就職した。
同社社長の男性(61)によると、研修後、愛媛県にある駐在所に配属。先輩に同行して業務に当たり、態度に問題はなかった。しかし突然「家族と一緒に住めるようになった」と、翌28年2月末に退職した。