2019年12月26日

生き埋めというのは中国の伝統

生き埋めというのは中国の伝統だ。戦国時代の長平の戦いの際、秦の白起将軍は捕虜になった趙兵20万人を生き埋めにしたという。項羽もまた生き埋めが好きだった。ただそれは遠い昔のことであり、まさか現代にそんなことはしないだろうと思ったが、やっぱりそうした伝統は変わらないのかも知れない。

2011年に列車の脱線事故が起きたとき、その車両を埋めて証拠隠滅しようとした事件があった。大きな批判を受けて車両は掘り出されたが、壊れた車両の中にはまだ生存者があったという。そのまま生き埋めになって殺される可能性があったのである。

 人命を軽視する国は、人権を軽視する国である。戦争で人が死んでもなんとも思わないし、ウイグル人を100万人単位で収容所に入れて思想教育を行っていても平気である。批判を受けても「内政干渉するな!」という形で反論される。

 ここで我々は人権とか民主主義という概念があの共産党一党独裁国家には通用しないということを改めて理解しないといけないのである。独裁国家では国家の土地も人民もすべて皇帝のものであり、生かすも殺すも皇帝の自由である。ウイグルの人民をどうしようとそれは習近平さまの思うがままなのである。

 もっとも今の日本人にこれを批判する資格はない。安倍晋三の指示があれば官僚は記録を改ざんするし、シュレッダーにかけて廃棄するし、選挙違反も強姦もなかったこととされるのである。そうした異常事態に対して自民党内では誰も声を上げないのである。みんな選挙で公認をはずされて落選したくないという私利私欲を正義やモラルよりも重視しているのだ。ゼニのために悪も見逃すという卑怯な行動原理がすっかり政治家たちにしみついているのである。

 オレのこんな批判もあのポンコツ野郎のスガは「それに関してのお答えは控えさせていただきます」としか返さないのだろう。「お答えを控える」ということはすなわち、都合が悪くて答えられないということなのだ。

 このような根源的な悪はいつかは滅びるのかも知れない。しかし、今の自民党政治は悪よりももっとたちの悪い二つの「ムチ」によって支えられている。「無知」と「無恥」である。もはやその二語は安倍晋三の代名詞である。それを放置したままの我々国民は「埋めチャイナ」を批判する資格などないのかも知れない。
posted by РМН at 21:00| Comment(0) | 某掲示板より転載3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


人気ブログランキングへ