東京電力福島第1原発事故により集団避難を余儀なくされ、いまだ帰還がかなわない人もいる福島県沿岸部の市町村。
住民らが集まること自体が難しい中、浪江町にある請戸芸能保存会の佐々木繁子会長(73)らは、伝統を継承していくためしきたりを変える決断をした。「つなぐことが最優先だった」と心境を明かす。
海に面する同町請戸地区は原発から直線距離で約6キロ。地元の小学生らにより踊り継がれてきた田植踊の道具や衣装、踊りを奉納していた※野(※はクサカンムリに召)(くさの)神社も津波で流され、周辺は住宅の建築などを制限する「危険災害区域」に指定された。
地域のつながりを途絶えさせたくない。東日本大震災の発生後間もない2011年7月、保存会は避難先の同県二本松市で田植踊の練習を再開。子供と参加した保護者の中には、「震災後、わが子が笑うのを初めて見た」と喜ぶ人もいた。
練習はその後も続けられたが、小学校から中学高校へと進むと、部活や受験で忙しくなり参加できなくなる子供たちが増えた。「伝統をつなぐことを最優先に、踊りたいと言ってくれる人を大切にしよう」。佐々木会長らは近年、同地区出身者ではない人の参加を初めて認めた。「『よそ者が』と言う人が一定数はいる。でもそのよそ者に支えられているのが現実だ」と語る。
今年1月末には待ち望んだ※野神社の社殿再建がかなった。2月18日、豊漁や豊作を祈願する請戸伝統の「安波祭」が同神社で行われ、13年ぶりに田植踊を奉納した。佐々木会長は「きょうを支えに頑張ってきた。喜びはひとしおだ」と話す。
両親が浪江町出身で、避難先の南相馬市で生まれ育った鈴木寿奈さん(11)は妹の詩乃さん(8)と一緒に踊った。寿奈さんは「この場所で踊れたことがうれしく、誇らしい」と笑顔を見せた。
請戸地区の出身で、仙台市内の大学に通う舛倉美咲さん(19)。震災後に別の地区で開かれた田植踊のイベントに小学2年の時から参加している。「きっかけは踊りの衣装がかわいかったから。でも今は踊りに込められた思いが分かるようになった」。現在は唄も練習中で、この日も佐々木会長と一緒に披露した。「追い付くにはまだまだ。続けられる限り続けたい」と話していた。