2020年07月01日

ワイドショーで専門家が語る「新型コロナは高温多湿と紫外線に弱い」WHOは否定

新型コロナウイルスは高温多湿と紫外線に弱いので夏場に下火になると話す専門家がいるが、そう指摘する研究報告もある一方で、異なる見解の報告も出ている。WHOは「新型コロナはどれだけ日光があろうが、気温が高かろうが感染する」と警告を出しており、高温多湿の東南アジアでの感染拡大も続いている以上、現時点で断定するのはミスリードだ。

・新型コロナは高温多湿と紫外線が嫌い?

「どのみちこれから夏ですから。このコロナウイルス、高温多湿と紫外線が大嫌いですから、下火にはなって来ると思うんですね」

これは、5月19日、テレビ朝日モーニングショーでの岡田晴恵白鴎大学教授が語った言葉だ。秋から冬を感染拡大の第二波として警戒しているとの話もあり、この話を信じている人は多い。実際のところ、新型コロナウイルスが「高温多湿と紫外線が嫌い」とは、どれだけ確かな情報なのか検証した。

トランプ米大統領は4月23日の記者会見で以下の発言をしている。

「新型コロナウイルスは気温が低く乾燥した環境で長く生き残り、気温が高く湿度が高い環境では生き残りにくいということが、アメリカ国土安全保障省 (DHS) の研究チームによって確認された」。

また、この会見で、DHS長官の科学技術局顧問であるウィリアム・ブライアン氏はアメリカ国立生物兵器分析対策センター (NBACC) で行った実験の結果を説明し、「太陽光は物質の表面と空気中の両方においてウイルスを不活性化させるとみられる。またそれと同様の効果を高温多湿な環境においても確認した。ウイルスは温度か湿度、またはその両方が上昇する環境を好まない」と述べている。

ただし、ブライアン氏は「これは研究の終わりではなく、国土安全保障省は引き続きウイルスの性質を特定し、そしてこの発見を感染拡大防止策に当てはめていく」と締めくくっている。
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唯一のレギュラー番組であるTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」終止符

フリーアナウンサー、久米宏(75)が27日、唯一のレギュラー番組であるTBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」(土曜後1・0)の最終回に生出演。2006年10月から13年9カ月にわたって放送された番組に終止符を打った。

 オープニングは番組開始当初に行っていた中継を実施。東京・赤坂5丁目の街頭に立つと「ここは昔、TBSのGスタジオがあったところ。ここで“ザ・ベストテーン!”と毎週やっていましたね」と振り返り、「昔は歩いているだけで息が切れたことはなかったのにな〜」と苦笑いした。

 ゲストに迎えたタレント、伊集院光(52)とのトークでは、自身の役回りを端役である「チンピラ」と表現し、「チンピラの精神を全うしたい」と力説。今後について問われると「本来のチンピラになってうろうろしたい。どこを? 都内でパスモが通用するところで」と軽妙に語った。

 終盤では学生が就職活動のためにラジオを聞いている話題に触れ、「僕も学校に行っていた時間よりテレビ、ラジオの前で過ごす時間の方が長かった」とラジオとテレビで育ったと強調。TBS入社3年後の1970年から実質的な仕事が始まったといい、「ぴったり50年。半世紀ですから、十分やったと言えば十分やった」とかみしめた。

 最後は「僕はクセがある人間なんでね、いっぱい番組をやってきたけどスタッフは苦労したと思いますね」とねぎらう場面も。レギュラー番組はすべて終了となるが、「これでお別れってわけじゃありませんからね。またチャンスがあったらいつかそのうち、ぜひ」と明るく締めくくった。
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接客で飲酒漬けのホスト業務には労災が適用されるのか?

ホストクラブやキャバクラは、客に楽しく酒を飲んでもらう場所。キャストが積極的に酒を飲んで場を盛り上げることもあるだろう。ただ、それが続けば身体を壊しかねないが、接客で飲酒漬けのホスト業務には労災が適用されるのか? 弁護士の竹下正己氏が回答する。
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【相談】
 ホストをしています。当然、仕事柄大量飲酒の日々。結果、体調を崩し、病院で診てもらったところ、肝硬変一歩手前の状態だったようです。こういう場合、私のようなホストでも労災みたいなものが適用され、何かしらの補償がされるのでしょうか。それともやはり、自業自得と見なされてしまいますか。
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【回答】
 労災保険は、労働者について「労働者の業務上の負傷、疾病、障害又は死亡」(業務災害)が起きた場合に給付されます。ホストの業務が店に出勤し、勤務時間や勤務場所等についてクラブの指示に従い、その支配下で接客業務を行ない、報酬を貰うものであるとすれば、ホストは問題なく労働者でしょう。
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 業務災害である「業務上の疾病」について、労働基準法施行規則で個別に列挙されている業務上の疾病の中に、アルコール多量摂取による肝硬変に該当するものはありませんが「その他業務に起因することの明らかな疾病」は業務上の疾病になるので、あなたの場合もこれに該当するかが問題です。
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 過度の飲酒が原因で肝硬変が発症するのは素人判断ですが、明白なことだと思います。しかし、疾病が業務に起因したと認められるためには(1)労働の場に有害因子があること。(2)健康障害を起こしえるほど有害因子に暴露したこと。(3)暴露したことで、発症したことが必要――とされています。
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 仕事柄、お酒を飲んでばかりというのがホストクラブの勤務中の業務として必要で、そうすることを店側から求められていたり、客の要求を拒否できない場合、これらの条件を満たしそうです。
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 ただし、接客中にホスト側の過度な飲酒を禁じている店もあると思います。そのような場合、禁止が建前であって、実際には客と一緒に飲酒して売り上げを伸ばすことが事実上求められていない限りは、自分の嗜好で飲酒したものとして、業務との関連を否定されるでしょう。
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 勤務中に急性アルコール中毒で倒れたような場合は、労災事故になるかもしれません。それでも必要な自制を怠って過度の飲酒により、患った肝硬変が業務上の疾病に当たるかは疑問です。
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2020年06月30日

「韓国は主権国家か」

「1月下旬、北朝鮮は中国からの新型コロナウイルス流入を防ぐために中朝の国境を封鎖しました。その結果、生活必需品のほとんどを中国に依存している北朝鮮の国民の生活は一層困窮。人々の不満が高まっているなか、正恩氏は韓国敵視を強めることで国民の団結を図ろうとしたのでしょう」

 こうした北の思惑に嵌(は)まってしまったのが文在寅(ムンジェイン)大統領で、6月10日、韓国の統一部はビラ風船を飛ばした団体と、米入りペットボトルを海に流して北朝鮮に送っていた団体、いずれも脱北者団体である両者を刑事告発すると発表したのだ。


「韓国は主権国家か」
 容疑は南北交流協力法違反。北朝鮮に物品を持ち出し交易するためには統一部長官の承認が必要であるのに、両団体はそれを怠っているというのである。

 同様の行為はこれまで何度も行われてきたものの、ビラ等は「交易」に値しないということで同法が適用されることはなかった。にも拘(かかわ)らず、文大統領は今回、強引に同法を用いて両団体を取り締まる暴挙に出たのだ。先の黒田氏は、

「文氏は大統領就任以来、『南北和解』と『平和共存』を掲げてきました。したがって、対北朝鮮政策は宥和以外に選択肢がなく、今回もいつもの通り北朝鮮に阿(おもね)ったわけです」

 と解説するが、刑事告発された2団体のひとつで、米入りペットボトルを流していたNGO「クンセム」の朴晶悟(パクジョンオ)代表が憤る。

「我々は飢え死にしそうな北朝鮮の人のために米を送っているだけです。しかも5年も前から続けてきたことを今になって突然、法律に違反していると言う。要は金与正に文句を言われたから、それに応えるために我々を刑事告発したに過ぎません。誰が納得するでしょう。喜ぶのは誰だと思いますか? 今後、私は警察に出頭することになると思いますが、これは文政権の横暴であり、このような状況の韓国を果たして主権国家と言えるのか疑問です」

 こうまでして文氏は北朝鮮に媚(こ)びてみせたというのに、その後、北朝鮮は南北共同連絡事務所を爆破。一言、文氏は完全に嘗(な)められているのだ。

 龍谷大学の李相哲教授が呆れる。

「最悪の独裁者の機嫌を取るために、自国民に刑事罰を与えようとするなんて、文大統領は気が動転しているのではないかと思うくらいに、言語道断で本当に馬鹿げた対応です」

 それでも南北宥和と言い張る文氏……。よく言うわ。
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「卒業時点で492万円の借金」奨学金のせいで人生が狂った29歳の叫び

借金という自覚なく奨学金を借りてしまい、卒業後の返済に苦しむ人がいる。野坂敏和さん(仮名・29歳)もその一人だ。野坂さんは、「奨学金は利子つきで月8万円借りていた。今になって考えると借り過ぎだったと思う。返済についても甘く見ていた」という――。

※本稿は増田明利『今日、借金を背負った』(彩図社)の一部を再編集したものです。

「これなら問題なく返せると思っていました」

野坂敏和さん(仮名・29歳)
出身地/新潟県 現住所/東京都板橋区

職業/会社員 収入/月収24万円(手取り20万円) 家賃/5万8000円

主な借金/第2種(利子あり)奨学金384万円(利子込みの返済額は432万円)

銀行カードローン30万円 他に大学在学中に運転免許ローン30万円、学生ローン30万円(既に完済)

借金の残高/奨学金200万円、銀行カードローン30万円

月々の返済額/奨学金1万8000円 銀行カードローン2万5000円+利子

「奨学金の返済がこれほどしんどいとは思っていませんでした。利子が付くとはいっても240回分割なら毎月の返済額は1万8000円ほど。これなら問題なく返せると思っていました」

口元をへの字にして溜息をついた野坂さん。現在は返済猶予を申請して認められたのできつい催促や取り立てはないが、銀行カードローンで作った借金も30万円残っているので生活は苦しいままだ。

「出身は新潟で、東京に来たのは大学進学のためです」

小中学校から成績は良く、高校は県立の進学校。都内の上位私大に難なく合格し、工学部で情報工学やシステム設計を学んだという経歴だ。

「実家は貧しくはなかったが裕福というわけでもありませんでした」

仕送りは月3万円、奨学金は絶対に必要だった

野坂さんが大学受験した当時も実家は住宅ローンを抱えており、塾や予備校などに通うことはできなかったそうだ。だから東京の私大に通うためには奨学金は絶対に必要だった。授業料などは親が出してくれたが仕送りは3万円だけ。あとは奨学金とアルバイトが頼みの綱。アルバイトは飲食店と日雇い派遣を掛け持ちしていたという。

「奨学金は第2種で月8万円貸与してもらいました。今になって考えると借り過ぎだったと思う。返済についても甘く見ていましたね」

4年間の貸与総額は384万円。利子は年利にして1%と低いが返済総額は432万円にもなる。そもそも奨学金が実質的に借金だという自覚も足りなかった。

「卒業後に就職したのは大手電機メーカー傘下のソフトシステム開発設計会社です。見習いのプログラマーからスタートしました」

給料は基本給に固定残業代と若干の手当が付いて額面21万円、賞与も年に2回支給だから世間相場並み。先輩たちの話では勤続5年で年収が400〜420万円になるということだったので奨学金の返済は簡単だと思っていた。

旅行のためにもお金を借り、卒業時点で借金総額492万円

「奨学金の返済は就職して7カ月目から始めました。月々の返済額は1万8000円です」

給料の手取りは18万円近くあったのでこれだけなら問題ないが、実は他にも借金があって、それも返済していたから余裕はなかった。

「ひとつは自動車教習所の運転免許ローンで30万円。学生ローンも2社で30万円ありまして」

学生ローンのひとつは就職活動の費用に充てるために借りたもの。スーツ、鞄、靴などの購入費に加え、名古屋や大阪が本拠地の会社への会社訪問や企業説明会、OB訪問のために必要だった。

「もうひとつは卒業間近に借りてしまったもので、卒業旅行と引っ越しに使ってしまいました。当時はお金がないから諦めるということはしたくなかった」

学生時代の体験は貴重だからと思っていたが、今になって考えると奨学金だけで384万円も借りているのに、さらに旅行で借金を重ねるのは浅はかでしかない。しかし、当時は考えが回らなかった。

「恥ずかしい話ですが、大学を卒業して今日から社会人スタートですという時点で自分は492万円の借金を背負っていたわけです。背筋が凍る金額ですよね」

運転免許ローンと学生ローンは利子がそれぞれ8%、15%と高い。2年24回で返す予定だったので毎月元本部分2万5000円と残高に連動する利子分を支払う。さらに奨学金の返済も始まったので毎月の返済総額は4万3000円以上だった。

生活費は家賃が6万4000円、水道光熱費が1万円。固定電話代込みの通信費が8000円。毎月8万円ほどが固定費として出ていく。これに借金の返済4万3000円が加わると12万5000円。

「残りの5万円ちょっとのうち食費が2万5000円。お小遣いを1万5000円とすると残るのは1万2、3000円だから余裕なんてありませんよ」

借金のせいでガールフレンドとも破局

計画通りに2年後には運転免許ローンと学生ローンは完済、これで2つの借金は消えた。

「奨学金も滞ることなく返していました」

奨学金の返済はここまで19回分。他の借金が消えたので少しはゆとりのある暮らしをしたいところだが、借金がたくさん残っていると思うと気持ちは落ち着かなかった。

「できる限り早く残りを半分以下、可能なら3分の1ぐらいまで減らそうと思い、繰り上げに次ぐ繰り上げで返しまくっていましたね」

毎月の返済とは別に夏の賞与が出た翌月の7月、冬の賞与が出た翌月の1月にはそれぞれ6カ月分を繰り上げて返済。1年間に24回分を返済していた。

「賞与の手取りは25〜27万円ぐらいだったので手元には10万円ぐらいしか残りませんでした。これは分割して月々の生活費の足しにしていました。なので蓄えはあまり増えませんでした」

こうまでして返済を急いだのは、当時付き合っていたガールフレンドにいろいろ言われたから。

「それは借金でしょ、どうしてそんなに借りちゃったの、いつになったら返し終えるのって」

東京生まれの東京育ちで、付属高校から持ち上がりで入学したガールフレンドには、地方出身者が東京の私大に通うのがどれほど大変なことなのか分からなかった。

「親に半分くらい出してもらったらとか、祖父母に援助してもらえばなんて言いだして。親に余裕があれば最初から奨学金は受けなかったのに、そういう事情を理解できないんですよ。面倒くさくなってその人とは別れました」

コツコツ進めた返済計画が体調不良で完全に狂った

その後も可能な限り繰り上げ返済をして17年8月迄に130回分を返済。「もう半分以上返した」と安堵したが、体調を壊して返済計画が狂ってしまった。

「年々残業が増えてゆき、月90〜100時間も時間外勤務するようになりました。どんなに時間外勤務しても固定残業代制だから毎月60〜70時間もタダ働き。成果主義も取り入れられたのでストレスも溜まって。これでは身体がおかしくなるのは当然ですよね」

身体の不調は耳鳴り、偏頭痛から始まって慢性的な下痢、睡眠障害も現れた。食欲も減退し朝は缶コーヒーだけ。昼も夜も以前の半分くらいの量を食べるのがやっとになってしまった。

「騙し騙しで2カ月間我慢したのですが、ある日を境に出社することができなくなりまして。朝起き出して布団から出たのはいいものの洗面台の前で身体が硬直してしまいました」

その日は扁桃腺を腫らして熱が出たと嘘をついて病欠。ところが翌日も出勤しようとすると動悸がして冷汗が出てきた。

「ああ、やっちゃったなと思った。体調がおかしくなってからネットや図書館にある家庭の医学みたいなもので調べていたんです。自分の症状は心身症とかうつ病に似ていたのでヤバイなと心配していた。その通りになってしまった」

うつ病治療中、会社から圧を感じて自主退職

住んでいる地域で一番大きな総合病院へ行き、最初は心療内科で受診。その後、精神神経科の医師に診てもらうと軽度のうつ病と診断された。過労が主たる原因だろうということだった。

「やっぱりという感じでしたね。原因が分かってすっきりした。なってしまったものはしょうがないですから」

会社には診断書を提出して休職することになったが、上司の苦々しそうな顔つきは今でも忘れられない。

「ほとんど有給休暇が未消化だったので丸1カ月間は金銭的な問題はありませんでした」

治療に専念したものの、さしたる効果はなく休職2カ月目に突入。

「これで給与収入はなくなりましたね。健保組合から傷病手当が支給されたけど日給の3分の2なので1カ月当たりにすると14万円ほどだった」

家賃と他の固定費を払い、医療費も出すと手元に残るのは2万円もない状態。

「こんなんじゃ奨学金の返済なんてできるわけない。機構に返済猶予を申請し返済を待ってもらえるよう手続きをしました」

会社なんて冷たいもので休職3カ月目が終わる頃になると「いつまで休むんだ」「人手が足りなくて大変なんだよ。早く出てきてもらわないと困る」などと言ってくる。

「裏を返せば、早いとこ自発的に退職しろということなんですよ。退職すれば欠員が生じるので別の人を補充できるわけだから」

もう嫌気が差して退職。病気治療中の無職ということになった。

「退職金はちゃんと出ましたよ、30万円ぐらいだったかな」

回復はしていないがバイトをしないと飢え死にする

雇用保険の失業手当も受給できるのだが、辞める前の2カ月は休職していたので給与収入はゼロ。それが響いて基本日額は4700円程度。

「その上、自己都合での退職なので失業手当が出るのは90日後からなんです。振り込まれた退職金と500円玉貯金で細々と生きていました」

体調や精神状態は少し良くなってきたが、まったく眠れない日があったり、人混みの中にいると無性にイライラすることもあったので更に2カ月間静養した。

「働かなきゃマズい、とりあえずアルバイトでもするかという気になったのは会社を辞めて半年経った頃ですね。完全に回復したわけじゃないけど、このままでは飢え死にすると思ったので」

オフィス専門の引っ越し業者が作業員募集の広告を出していたのを見つけ、面接に行ったらその場で採用してくれたそうだ。

「金曜日の夜から土曜日の朝、土曜日の夜から日曜日の朝までは完全な引っ越し作業。日給は1万円だった。平日の3日は事務所内のレイアウト変更に伴うオフィス家具などの移設作業で夜6時から10時までの4時間勤務です。こっちの時給は1200円だった」

このアルバイトで月収14万円は確保できた。身体を使う仕事なので疲れたが、それでよく眠れたので御の字だった。

怪我をして収入が完全に途絶えた

「翌月からは失業手当が出るようになったのでこのアルバイトはすぐにやめました。だけど失業手当は1カ月間(28日)で13万円。東京の生活保護費と同じくらいでしょ。本当はいけないのですが生活が成り立たないのでハローワークには内緒でアルバイトをやっていました。アパート近くのクリーニング屋さんで洗濯物の受け渡しを」

夕方3時間だけで火木土の週3日。時給1000円だったがこのアルバイト代が月3万6000円。これで何とか生活していけた。

「次の職探しもボチボチ始めまして。自分ができることと言ったらコンピュータ関係だけ。ハローワークには求人が多数あったけど下請け、下請けの下請けみたいなところばかりでブラック度も高そうでしたね」

何社かは面接したが半年以上のブランクを問題視されて不採用。ハローワークの指導員からは営業職や販売職も勧められたが接客業は嫌だったし、自分には向いているとも思わなかった。

「どうしようかなあと迷っているところで、間の悪いことに今度は足の骨にヒビを入れる怪我をしてしまいまして」

雨の日にアパートの階段を小走りに上がろうとしたときに雨水で滑って転倒。左足のくるぶしにヒビが入る怪我を負ってしまった。

「ギプスで固められて松葉杖です。全治4〜6週間という診断ではハローワークに通うのも就職情報会社が主催する企業説明会や合同面接会などに参加するのも無理。完治するまでアパートの自室で養生するしかありませんでした」

治療費は郵便局の簡易保険に入っていたので補償されたが失業手当は90日で終了。クリーニング屋さんのアルバイトも辞めざるを得なかったので収入が完全に途絶えた。

とうとう食い扶持まで借金に

このピンチをしのぐために手を出したのが銀行カードローンだった。

「前の会社の給料を振り込んでいたのがY銀行でして。本当に少ないのですが20万円の定期預金もあった。だから貸してくれたんでしょうね」

限度額50万円で金利は14%。

「早い話、20万円の定期預金が担保ということだと思います」

消費者金融にはフリーターやパートの方も歓迎とか、初めての方は30日間利息ゼロというところもあったが、商店街の一角や駅ビルにある無人契約機の前に座るのは抵抗があった。

「消費者金融と格好つけてもサラ金でしょ。やっぱり危ない、怖いというイメージもあるし。サラ金より銀行の方が安心という思いもありましたね。所詮は同じ金貸しなんだけど」

借りたのは15万円を2回で合計30万円。生活費のためだ。

「とうとう食い扶持まで借金かと落ち込みましたよ。何か堕ちるところまで堕ちたというか、惨めなものですよ」

新しい仕事が見つかったのは18年の8月。多少のブラック加減は仕方ないと割り切って何とか採用してもらったのがWeb制作を請け負っている零細企業。

「水商売とか風俗関係のホームページやネット専用の広告を作っているところです。キャバクラ、フィリピンパブ、ガールズバー、パチンコ屋、居酒屋、派遣型風俗業の広告や求人案内を作っています。世の中にはいろいろな商売があると思う」

心配していたブラック度はそれほど高くはない。サービス残業は月20時間近くあるが土日、祝日は完全に休めるのでマシな方だと思う。

「給料は24万円、手取り20万円ぐらいですね。賞与ありとなっていたけど寸志程度らしいので想定年収は300万円に届くか微妙なところだけど贅沢を言っている場合ではありません。とにかく働いて稼いで借金を返さないと」

借金しているという事実は精神的負担が大きい

40歳になるまで奨学金の返済に追われるのは辛いので収入が増えれば2、3カ月分でも繰り上げて返済するつもりだが、ちゃんと完済できるだろうかという不安もある。

「借りるときは返済のことまでよく考えていなかった。月1万8000円なら余裕で返せるとたかをくくっていたけどこんなに重たいとはね」

毎月1万8000円を貯金して20年で432万円積み立てるのと、432万円の借金を毎月1万8000円ずつ20年かけて返すのはまったく別の話。自分はこんなに借金を抱えているという精神的な負荷が大きい。

「今になって強く思うのは無理して東京の私大に入る必要はなかったんじゃないのかということです。学力的には地元か隣接する地域の国公立大学は合格圏でしたしね」

東京の有名私大を卒業すれば将来の選択肢は選り取り見取りと思っていたが、実際はそれほどでもなかった。地元の国公立大学に入学していれば入学金を含めた4年間の学費は150万円近く安上がりだった。実家から通学していれば生活費も不要だった。

「地方でもアルバイトのあてはいくつかあったから奨学金は必要なかったと思う。そしたらこんなに苦しまずに済んだと思います」

2歳下の弟は地元の国立大学を卒業して地元の企業に就職。来年初めに結婚するという報告があったが、野坂さんは結婚なんて考えられる状況ではない。正直なところ失敗したと思っている。

4年間借金して何を学んだのか、何をしてきたのか。ただ、苦しんだだけではないかと考えると落ち込む。
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